老坑 坑仔巌 麻子坑・・・石質分析表 硯の頁トップ みなせH.P.トップ
 
  端渓のまことを伝えたい      端  渓   本 文 
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20世紀も最後期に差し掛かる1990年代の半ば前後から蔓延した≪“老坑”鉱脈≫は枯渇(☆☆☆)したとのあり得ない風評の蔓延に対応した当該時期の老坑の実際を、1998年に≪老坑にまつわるいろいろ≫とし緊急出版
これに、現地の実情や老坑などの原石採掘から作硯環境などの詳細を加筆し、翌1999年に改めて刊行した≪老坑≫の≪本質≫にかかるご案内書です。
 更に、1998年に端を発する≪端渓全坑強制閉鎖≫への表裏・経緯もその変化ともども年を追い加筆しました。
 
 1998年≪老坑は枯渇した≫とのあり得ない風評の蔓延に「老坑にまつわるいろいろ」を緊急出版。
 これに現地実情・環境など詳細を加筆し翌1999年に再刊行した≪老坑の本質≫にかかるご案内書です。
 
更に、1998年にその予兆を見せた≪端渓全坑“強制”閉鎖≫の表裏・経緯もその変化ともども年を追い加筆しました。
  
端渓「老坑」の採掘再開から閉鎖 端渓渓谷の今

1 序章 硯の頁トップ みなせH.P.トップ
老坑を中心とした端渓硯各坑採掘にまつわる「まこと」です。
端渓(端渓硯)序文
硯の中の硯「端渓」、その端渓硯の中でも群を抜く品質を有するのが硯の王者「老坑硯」です。
「老坑鉱脈は掘り尽くされ枯渇した」との、1990年代半ば過ぎ頃にはじまり、瞬く間に日本中に満ちあふれた悪意に満ちた風評。
現実の老坑採掘状況は、この時の採掘開始≒1970年過ぎ、周恩来指導により老坑採掘が再開されましたが、それ以降、西江の水位が上がり採掘坑に満ち物理的に採掘ができない時期を除いた採掘時期。古来から変わらぬ採掘の時期に老坑原石の採掘が続けられていました。
「老坑鉱脈は枯渇した」との全くのデマ、風評により「老坑はもう採れないのだ」と思い込まされた書家や硯の専門家たち。
当時、毎年何回か肇慶へ行き、老坑採掘現場へも入坑し、老坑採掘の実際を確実に掴んでいた私は、このデマを初めて耳にした1997年ころ既に「老坑はもう採れない」と、信じられている人たちの多いことには驚きました。
老坑坑底から新入り口前
に運び出された老坑原石
老坑にて
)坑口前 地上検査の直前)
早速、老坑は枯渇してしまったとの風評を信じられている専門家方を老坑採掘現場へご案内する準備をすすめ、現地調査希望のお申し出いただいた方々の第一陣、先ずは十人程の専門家方を現場へご案内したのは1998年1月です。
以降、ご希望ある方々を順次「老坑」採掘の現場までご案内し老坑は今もなお健在である事実をご確認いただいてきました。


 ⇒老坑鉱脈は健在で鉱脈に関しての問題は何もありませんが、採掘環境・採掘方法の改革により過剰採掘が生じ「過剰在庫」に至りました。過剰在庫により2007年8月後半、老坑が、続いて他の硯坑も管理者(政府機関)により強制閉鎖されました。当初は適正在庫に戻るまで、との方針でしたが在庫整理は遅々として進まずついに端渓名坑の採掘渓谷は存在の意義を変えてしまいました。
≪この顛末詳細はこちらの頁へ≫
老坑へ、専門家方を案内しはじめた当初、端渓に関し30年に及ぶ(1998年時点で)私の記憶と経験を基に老坑の現実を「老坑にまつわるいろいろ」として緊急出版しました。
初版は言葉通りの緊急出版で、端渓に関しての私の記憶を2週間ほどでまとめたものです。誤字や一部の名称などに思い違い・記憶違いの部分もありました。お詫び申し上げます。更に、内容を充実させると共に正確さを期す改訂版を予定し、同年(1998年)に5回現地肇慶を訪れ事実関係を再確認、現地の新・旧資料を加えて翌年に再出版しました。
老坑の現状をそのままの姿で知っていただかねばならないと思い至るまでは、長年現場を訪れながらも私の生来の無頓着さで気にしていなかった老坑に関する年代記、広東省地砿局が調べた端硯地質調査報告書による端渓各坑の分析表など科学的に解明された数字資料を、肇慶で得た歴史的資料、新資料を、第二版に加えました。ご覧いただければ幸いです。
 特に1998年12月の現地調査時には、一連の調査資料から知り得た「新入口から老坑採掘現場へ至る導坑のほぼ底部と旧入口から入坑し辿り着く大西洞(老坑採掘史上一番有名な採掘跡の空洞≒老坑佳硯採掘跡)下部の「水帰洞」とが導坑内で繋げられた」
この事実を硯を愛するがゆえ老坑の真の姿を知りたいと現地まで同行して下さった方々共々確認、その後の訪問時には皆様に紹介しています。現地肇慶の老坑資料を細部まで熟読すれば当然知っているべきこの情報を見逃していましたので知る迄にご案内した皆様もこの接続箇所のま横を上り下りされたにも拘わらず説明出来ず申し訳ありませんでした。
旧坑=(旧入り口)から入坑していた時代の老坑最深部の更に下層の採掘現場へ直行する老坑新入口(俗に“新坑”とも言われる)からの導坑
 良硯材を排出した「大西洞」はそれら硯材の採掘跡の空洞で、この大西洞を掘り進み更に深部へと進んだ個所が、当時の採掘最深部「水帰洞」です。
新入口からの入坑する導坑と、旧入口から入坑していた時代に採掘が進んだ坑の個所がつながっているのは、正しくこの旧坑時代の=旧入り口から入った時代の採掘最深部、水帰洞で、新坑=新入口から入る導坑としての最深部と並んでいるのです。
水帰洞をこの目で見られるなどとは、その時まで思ってもいませんでしたので感動もひとしおでした。
新坑道は水帰洞との接続口から鉱脈に沿い掘り進まれ、老坑鉱脈採掘の当該時点最前線へと、少し下りながら、西江の方向へと続く鉱脈を掘り進みます。
 この感動のわずか3ヶ月後、1999年3月9日の老坑調査行では、前年12月の調査行で新口から斜坑を降り老坑最深部へ至る直前の導坑から水帰洞をのぞき見ることが出来た、その場所が更に大きく開かれ、旧入り口時代にはヤット辿り着く、と言う感覚だった当時の採掘最深部水帰洞への出入りが自由になっていました。
1998年11月の老坑原石盗難事件の影響で老坑の管理体制を見直ししている間は採掘を中止して いたが手持ちぶさたの職人達が旧坑と自由に出入りできるように坑を広げてしまったとの説明でした。
この時(1999年3月9日)調査ご参加の方々全員が旧採掘跡の水帰洞へ入り、坑の状況を調査されました。現場管理者は、この連結部分付近は石質が(老坑としては)粗いと話し、事実採掘はこの連結部よりもう少し深いところを中心に行なわれています。
 端渓を愛する方々や端渓の専門家の皆さまに、端渓、それも特に老坑の真の姿を少しでもお伝えしたいとの思いを込めた初版を基にしていますので、初刊と同じ記述のままの部分も多いのですが、新事実と新資料の追加でお許し下さるようお願いいたします。
 端渓に深い造詣と愛情を持たれる方々で、老坑現状を調査したい旨のご連絡をいただき、<BR>
私が老坑現場へ行く時、タイミングよく同行可能な方達を1998年1月から順次老坑へ、そして老坑最深部へご案内し、「老坑は枯渇した」等々の一連の噂は根も葉もないことを、ご参加の皆さま全員の目で確認していただきました。<BR>
しかし、老坑採掘の現場に立ち会われるまでは逆に、ご参加のほぼ全員が老坑はもう採れないのだ、と思い込んでおられ、西江を船で渡り老坑入り口を目前にしているにも拘わらず、
まだ老坑へ入坑できることが半信半疑の状態で、実際に老坑内に入り、坑洞を伝い老坑採掘の現場、当該時点の老坑採掘最深部に近づき=採掘の現場を目の当たりにし、採掘坑夫や老坑硯廠の責任者など老坑に直接関わる人達との交流が少し進むまで、老坑採掘の事実を認めようとされなかったご参加の方もいらっしゃったことは、「老坑原石枯渇」との「デマ」が如何にが強く発信されていたのか、と改めて驚かされました。
老坑内部 老坑内部  1990年、既にその兆しは感じられたのですが、特に1992年頃から、老坑の採掘現状や流通の事実とは全く違うことが、端渓の常識として大手を振ってまかり通ろうとしていました。多くの端渓専門家・愛好家の皆さまが、端渓の現実とはかけ離れた虚構に取り憑かれつつありました。
老坑原石は枯渇したとか、良質の老坑硯は僅かに残っている在庫だけでもう採れないとかの内容で、それを信じる端渓愛好家が多くみられるようになってきた1997年10月、
これではいかんぞ、真実を知っていただかなくてはと、端渓に深い造詣と愛情を持たれる方々で、老坑現状を調査したい旨のご連絡をいただき、
私が老坑現場へ行く時、タイミングよく同行可能な方達を1998年1月から順次老坑へ、そして老坑最深部へご案内し、「老坑は枯渇した」等々の一連の噂は根も葉もないことを、ご参加の皆さま全員の目で確認していただきました。
しかし、老坑採掘の現場に立ち会われるまでは逆に、ご参加のほぼ全員が老坑はもう採れないのだ、と思い込んでおられ、西江を船で渡り老坑入り口を目前にしているにも拘わらず、 まだ老坑へ入坑できることが半信半疑の状態で、実際に老坑内に入り、坑洞を伝い老坑採掘の現場、当該時点の老坑採掘最深部に近づき=採掘の現場を目の当たりにし、採掘坑夫や老坑硯廠の責任者など老坑に直接関わる人達との交流が少し進むまで、老坑採掘の事実を認めようとされなかったご参加の方もいらっしゃったことは、「老坑原石枯渇」との「デマ」が如何にが強く発信されていたのか、と改めて驚かされました。

 後述部分でも重ねておことわりしていますが、この本は、同道して下さった皆様方に、好きで始めて、気が付いてみると1960年代の半ば頃から優に30年を超える年月、係わってきた端渓の、現業に携わる人たちとの交流から得た事柄や、採掘現場、硯工場での出来事、目で見たこと、体で感じたことなどをお話ししているうちに、記憶の底から浮かんできたことや端渓の現状をそのまま記述した初刊の小冊子を、その後、新たに得た資料や情報などで補完したものです。 老坑内部
(参考資料 宣統年・高要県志、呉蘭修・端渓 硯史、高兆硯史考、梅山周・硯坑志 、呉縄年・端渓 硯志、袁樹・端渓 硯譜志、肇慶文物志、 広東省地砿局提供:広東省肇慶市 端硯地質調査報告)  
 
時間つぶしに見てみようかとでも思っていただけたら、この上ない幸せです。
山口 

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