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安徽省県で漉く「宣紙」、宣紙の数ある品種の内「単宣」「夾宣」・・・などの名はあまりにも高名。
この高名さを利用する形で、本来の「安徽省宣紙、単宣・夾宣とは基本品質が異なる台湾産の紙の一部を「単宣」「夾宣」などと名付け販売する場合があり、この「台湾単宣」「台湾夾宣」は幅広い販路で流通しています。 以下はこれらの流れにも触れています。  

"以下ご案内の「製紙環境大変化」の発端時から一定の時間が経過した時点で、   
更に生じた新たな動きを併せたご案内箇所をUPいたしました。掲載はこちらです。
地球環境対策の一環として、
中国政府が発した地球環境保全のための指導、画仙紙・半紙など手漉紙を漉く素材工程、「紙料工程」の「変更」と、一部紙料の「使用禁止」など、製紙素材づくりを含め製紙の手段に変化が生じています。過去の品質を継承すべく怠りない努力を続けていますが以前までの紙質と多少異なる製品も生じています。
「地球環境対策」の結果としての一部製品の紙質変化経時変化、そして「手漉紙」として不可避、 且つ、
 当該業界で許容範囲とされる「品ムラの差」はご容赦下さい。(必ずご確認下さい
⇒⇒ 製紙時の製紙廃液には地球環境対策が必要なのに、その製品(=紙)は大丈夫?
  ⇒⇒ 問題は全くありません。理由はこちらに掲載しています。ご確認ください。

“手漉”画仙紙・半紙の実生産地  国産手漉紙の下請・孫請け地のうち 単宣・夾宣等 台湾関連へ
  因州下請紙など 韓国関連へ
T:台湾
 紅星牌に代表される安徽省(ケイ)県宣紙は時代により高価 & 入手難と言う流れがあります。 
県宣紙全般の入手が困難、且つ高価だった時代に台湾で作られた県宣紙「棉料単宣」模倣品と宣伝する紙、その紙質は安徽省(ケイ)県宣紙とは似て非なるもの、全くの別物ですがこれを「(台湾)単宣」と称し流通させ、一定の人気を集めました。
弊社では「“台湾“単宣」の名で販売することは「単宣」の大元『(ケイ)県宣紙棉料単宣』と勘違いし使用されるご利用者、ケイ県宣紙とはこんな程度の質なのだ、と誤解されるご使用者などを生むことにも繋がりかねないことを危惧し、そして、画仙紙としての紙質等々に申し分はない画仙紙なのですが、(ケイ)県宣紙の「本質」とは多少とも異なることから、これらの紙種には(ケイ)県宣紙のイメージを与えない“千草”の名を付けました。
台湾単宣「千草」の始まりです。
無論、産地・品質等の誤解を与えかねない「単宣」はその名の一部にも付けず「台湾画仙紙 千草」として取り扱っています。
「台湾単宣」の成功を基に、やはり安徽省宣紙として名高い「夾宣」県宣紙夾宣の模造品と称する似て非なる画仙紙、「(台湾)夾宣」とされる紙が作られました。
この台湾夾宣は「単宣」との成功とは違う意味で好評を呼びました。
「安徽省(ケイ)県宣紙の夾宣」とは全く異なる紙質に仕上がり、独特の書き味と深みを持つ紙でしたので「台湾夾宣」として評判になりました。
さらに、「羅紋宣」も同様の過程をたどりました。

弊社では、「台湾単宣」の取り扱いと同様、その紙の名に「湾夾宣」名を与えることは「夾宣」の大元『(ケイ)県宣紙』に申し訳ないと“恵風”の名を付けました。
「台湾夾宣 恵風」の始まりです。
単宣と同様にその名称に「夾宣」は付けず「台湾画仙紙 恵風」として取り扱っています。

これら中国安徽省(ケイ)県宣紙の模造品各種は、台湾人件費の高騰につれ台湾の漉元は、かって日本が下請の地を台湾や韓国に求めたのと同様に更なる下請地を開発しました。
「泰国」「フィリピン」「廈門」などが台湾の下請地として紙の製造を始めその大部分が台湾経由で日本に輸入されました。
その販路では、実際の下請産地名を明記し流通させるものもありますがこれは一部に留まり、台湾製として販路にのせるのが主でした。
弊社ではこれら下請品を明確に区別し、台湾単宣⇒弊社名「千草」の台湾以外での生産品=下請品は“千暉”名にて、台湾夾宣(弊社名「恵風」)の下請品は“恵山”名にて取り扱っています。
下請地の中でも有力な生産地であった廈門の一部工場は、更に有利な条件を求め中国国内でも紙漉地として定評があり、かつ人件費の有利な安徽省を選びました。
時の流れは実に巧みに歴史を演出します。
安徽省(ケイ)県で造られ大好評だった、しかし高価だった「(ケイ)県宣紙」各種の模倣品を造った台湾がその孫請け地として安徽省を選び、生産の一部を安徽省に戻したのです。
この孫請地は、同じ安徽省でも宣紙で高名な(ケイ)県ではなく浙江省にほど近い黄山地域です。
弊社では孫請地の「安徽省」で生産している台湾宣紙のうち旧来の台湾と同じ製法「純手漉」製を試験的に契約、試験販売をしてきました。
生産も安定してきましたので先ず「単宣」を、続いて「夾宣」を2004年から本格的に輸入し販売しています。下請地の多くが採用する製紙法「簡易手漉=流動式」ではなく実際に台湾で漉いていた時代と同じ「純手漉」です。
「純手漉」であることにより弊社扱いの“千草”を台湾製の「台湾 千草」と安徽省製の「安徽 千草」に区分けしました。
前述と重複しますが、台湾が下請地に選んだ「泰国」「フィリピン」「廈門」は製法が純手漉ではなく「流動手漉」ですので従来通り「千草」と区別し「千暉」名を継承します。
「夾宣」の模造品、本社名“恵風”は、共に純手漉の「台湾 恵風」と安徽省製の「安徽 恵風」に区分けされ、台湾が下請地に選んだ「泰国」「フィリピン」「廈門」の下請夾宣は製法が純手漉ではなく「流動手漉」ですので、従来通り「恵風」とは区別しやすい「恵山」名を継承します。

「(台湾)単宣」と呼び流通させ、そして人気を集めました”、と記述しましたが、当時の台湾の製紙環境では安徽省宣紙の「肌理の精緻さ&柔らかさ」を再現することは難しく、少しでも紙質の柔らかさ、漉き目の密度の高さを(ケイ)県宣紙近づけようと紙を漉く時“胡粉”を混入させました。
以後、台湾単宣は「胡粉」が入っているのが大部分を占めるようになりました。

台湾の紙漉き現場の技術の上達と共に、「胡粉」を混入させなくても「安徽省宣紙と同等な柔軟さときめの細かさを併せ持った」紙が製造できるようになり、
更に台湾から中国廈門、更に孫請けの地「安徽省」へと実生産地が移動するにつれ、その「胡粉を混入させない」=「粉なし」画仙紙も評判が高くなってきました。
これが弊社の「華心宣(箋)」です。

安徽省(ケイ)県の宣紙のうちでも良くできたと評価される「棉料単宣」よりは多少堅さかが感じられる程度で、同じ安徽省宣紙でも「雑牌の宣紙各種」と同等か、それらより多少
は佳いとのご批評も頂いています。
 
U:韓国
1970年代半ば、国産手漉紙の主要生産地のひとつである因州は、高度成長に差しかかった日本経済の中、人件費の高騰・後継者難に悩んだ結果、隣国「韓国」を下請地に選びました。

その下請地「韓国の漉元」のほとんどは、正に日本の辿った道をそのまま歩み、後継者難・人件費高騰の時期を迎え、彼らが生産基地を中国に移すまでにさほどの時間はかかりませんでした。

韓国各漉元はそれぞれの政策から中国の「烟台」「廈門」「芙蓉」「臨安」などに下請工場を、日本から見れば孫請け工場を設けました。方法は製造委託、合弁、経営権確保などいろいろでした。

この孫請け地中国各地の製品は一旦韓国に輸入され、韓国での再選別を経て日本に輸入、その多くは「韓国製」として流通しました。
時と共に韓国紙の多くの部分の実生産地・流通路情報は日本の業界にも広がり、中国工場と接触をはじめる日本業者も現れました。

折しも、一部の韓国サイドは中国工場に対する取引諸条件の要求をエスカレートさせ、これに反発する中国漉元は日本に接近を試みました。
中国からの申し出を受け、工場と直接取引を開始した多くの日本販路がありますが、みなせは「数多くある工場=漉元と直接取引をしても製品管理の問題点をどう解決するのか」との中国取引の原点に基づき、工場と製品に対する交渉・管理の全てを、これらに長けた中国の組織=長年にわたる付き合いで組織の内情を知り、気心の知れた老朋友の在社する伝統の中国工芸品公司に委託することにし、古くから付き合いのある公司の中でも信用度の高い公司三社に話を持ちかけました。
三社とも(中国実情としての)十分な対応策を打ち出し実行してくれました。

これにより、みなせは実生産地に対応する誠実な管理者を得て製品輸入の幅は広がり、且つ(中国産同等製品として)安定し、日本各社様よりの委託生産も含め順調な経緯を辿っています。

韓国が因州紙の下請をはじめた当初の因州下請韓国製画仙紙をみなせ名「白嶺」、半紙を「白雪」として発売してきましたが、
これらの実生産地中国産地から直輸入した因州孫請けの画仙紙を「板張白嶺」「臨安白嶺」、因州孫請けの半紙を「板張白雪」「臨安白雪」、として取り扱っています。

画仙紙「白嶺」は因州白蘭の下請け品として非常に佳い質を持つ紙として開発されましたが「紙料」の差もあり「因州白蘭」とはヤヤ異なる趣の紙質でした。質の上下手はなく「趣の差」でした。

2007年度頃から「因州白蘭の趣を持つ“下請け白蘭”」が製造出来るようになりました。
「下請け白蘭 並厚」「下請け白蘭 厚口」二種の各サイズを契約、入荷しています。