有 馬 籠 みなせトップページへ

私の家の三軒隣の友人の家。そのお父さんの仕事は「有馬籠司」
 
 印箱に適した伝統の「有馬籠」  画像などへ
 
日常の生活道具として有馬郡で広く生産されていた、
そして・・・時は流れ、今では有馬温泉の名産のひとつに数えられる
「有馬籠」
有馬 / 有馬温泉??? 有馬町??? 有馬郡???   
(ウィキペディア「有馬郡」より)
有馬郡(ありまぐん)は兵庫県摂津国)にあった
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。
神戸市 現北区の一部、有馬町(=旧湯山町)・有野町・八多町・大沢町・長尾町・道場町、それぞれの各町、およびそれぞれが内包する各町 灘区の一部(六甲山町の一部)・三田市の大部分(末吉・布木・川原・十倉・田中・酒井・鈴鹿・下里・木器・上槻瀬・下槻瀬・市ノ瀬・波豆川を除く)西宮市の一部(山口町各町・塩瀬町各町および内包する各町)
明治29年(1896年6月15日 - 湯山町が改称して有馬町となる。
昭和22年(1947年3月1日 - 有馬町・有野村が神戸市兵庫区)に編入。
昭和33年(1958年)7月1日 - 三田町が市制施行して三田市となり、郡より離脱。同日有馬郡消滅。
豊臣秀吉の時代、既に「湯山町」の名は広く知られ、湯山へ続く街道は「湯山街道」と親しまれていた名温泉⇒現「有馬温泉」
 
正真の≪有馬籠(ありまかご)
「みなせ筆(有馬筆=実用の書画筆)」の仕事場、つまりは私(山口琮一 やまぐちそういち)の家から3軒目のお家が、伝説的な有馬籠の職人“藤川勇次氏(故)”のご自宅で、藤川勇次氏はご自宅に備えた仕事場でいつも「有馬籠」を作られていました。
1950年代初め、私が小学校へ入学した頃には、近くの射場山から、藤川勇次氏自ら切り出された有馬籠の素材となる竹を、みなせの家の真前にある「水天宮(地元呼称では⇒すいじんさん)(=有馬温泉神社の御旅所)」の片隅で、水天宮の源から流れ出る水流が地表に現れる5メートルほどの貯水場を利用され丹念に洗われていました。
洗い終えた竹は70㎝前後の長さに切りそろえ仕事場に持ち帰られます。
この竹だけを素材に有馬籠を作られていました。
流れるように竹を割る。計ったように折ぎ「巾」と「厚さ」を揃える。
作ろうとする籠の性質に合わせ「竹片の巾」は3㎜程度の時もあり5㎜程度の時もある。まだまだ狭いものも、そして広いものもある。
「厚さ」は竹の厚みとほぼ同じ位厚いものから透き通るほどに薄いものまで無限とも言える厚みの差を作られていました。
その竹のうちの少しの量を、独自に用意された天然素材の染料で「黒」く染め、竹籠のポイントに編み込まれていました。

揃えた竹片を、綾糸を操るが如き見事な手業で操り、ある時は大胆に、あるときは緻密に、竹を編む。
見事な竹籠が次々と出来上がる様を、勇次氏の仕事場の片隅からよく眺めていました。
勇次氏が作られる「有馬籠」のうち、以下画像の二種類は「落款の印を纏め持ち運ぶ印箱」として誠に都合がよいと、当時、書壇で活躍されていた辻本史邑先生、片山万年先生、木村知石先生、西谷卯木先生、広津雲仙先生、岡本松堂先生、上松杜暘先生など書の大家のご愛用を賜りました。
また、これら書の大家の多くが有馬で錬成会(書家の合宿訓練)をはじめられました。
書道会の有馬錬成会は、有馬が日本最古の温泉のひとつとして高級観光地へと育ち、錬成会に利用するにはそぐわない宿泊費になったことにより最近はほとんど見かけられなくなりました。
有馬近郊で錬成会を開催されるのが常だった上田桑鳩先生をはじめ多くの指導者が、有馬錬成会時には、常に、と言えるほどにお見えになられ、その多くはこの籠を利用されていました。
当時(1970年代)作っていただいた「有馬籠」が、ホンの少しですが残っています。
そして、時間の経過に伴い竹籠は、部分的に「割れ」が現れたりたり「ひび」が入っていたりします。
このような籠の現状でですが、正真の「有馬籠」としてご紹介いたします。
  
時間の経過に伴い竹籠には

部分的に割れが現れた


ひびが入

ていた

します
  ご理解

ご了解の下お求め下さい
半世紀近い時間の経過に伴い竹籠は部分的に「割れ」「ひび」が入っています。ご理解・ご了解の下お求め下さい。
大 3700円     小 3300円      正味価格味(消費税別本体価格)  送料確認下さい。
大 3700円    小 3300円      正味価格味(消費税別本体価格)  送料確認下さい。
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