4 坑仔巌
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 老坑の隣の坑「坑仔巌」では20人強が働いています。
 老坑の採掘職人が毎日近辺の自宅から通ってくるのとは対照的に、ここで働く職人達はほぼ全員が現場に住み込んでいます。

 老坑と坑仔巌の二坑は、直線で100メートル強、 高低差は約140メートル、
徒歩でゆっくり登って15分の至近距離で老坑坑口からも坑仔巌がよく見渡せます。

 老坑から採れる石と、
坑仔巌坑から採れる石とはおおむね同一で、見た目も、墨の摺り具合も、当然のことながら、どちらの坑から出たのか区別のつけにくい石が採掘されます。
 鉱物学的にも、地質学的にもよく似た石層ですが天然の産物ですから、どちらから採れようと、
一点一点少しずつ違うので、
老坑と坑仔巌は違う石質だとの論理も否定しきれない道が残されています。
 この二坑は、採掘入口がほんの少し離れているだけなのに加えて、外観からも確実に区別することは困難なことが多いので、現地の硯鑑定に携わる専門家でも老坑と坑仔巌を混同したり、取り違えたりする事がたまには起こります。

 信用第一、継続取引が大事と考える工場では、どちらの坑から出た石か確認できる体制を作り、坑から工場に運び込んだ時点で、どちらから出た石かを 明確に区別できるようにしてから硯に仕上げます。
 区別する前に、混ざってしまうと、どちらの坑から採れた石か、見極めるのが難しい時もあります。
坑仔巌入口

坑仔巌入口


老坑坑口前から坑仔巌を臨む

老坑坑口前から坑仔巌を臨む

 採掘時の取り組み姿勢が主原因なのですが、坑仔巌から採った石より老坑から採った石のほうに特別高品位の原石がずっと多いこともあって、市場では、老坑から採掘した石を坑仔巌から採掘した石より上位に置きます。
 原石の質にもよりますが、実際の流通価格も3倍以上開くことが多いのです。
坑仔巌坑から出た石の中でとりわけて優れているものが老坑の平均的な石質に相当するとお考え下されば大体正解です。
 坑仔巌石を悪用し、老坑として出品する工場が後を絶たない理由です。    
 これらの差は、両坑の原石にあるのではなく採掘の方法と検査の厳しさの差に起因するのです。
 坑仔巌では、ごく小規模の発破を使用して原石を坑から取り出します。
 細心の注意をして、至上の原石をつきとめていく老坑のような名人技ではなく、発破で崩した原石をまとめて坑から採りだし、その中から良いものを探し出す、少々荒っぽい採掘です。

 この採掘時の石の選び方の差と老坑に従事する職人の名人技が、
坑の石自体は同一地質であるにも拘わらず、
「老坑の硯」「坑仔巌の硯」として掘り出した石のその分析成分に微妙な差を生じさせるのです。
 この成分に微妙な差を生じさせる老坑職人の目の確かさと頑固さが、それだからこそ得られる老坑硯の信用と彼らの高収入につながっているのです。
肇慶市の当該機関が調査した老坑と坑仔巌などの状態や成分などの分析資料の抜粋です。 (広東省地砿局提供 広東省肇慶市端硯地質調査報告の原文を訳したものです。)
坑内
老坑 15度から30度の傾斜角で層状かそれに近い形状で分布、
層は豆の鞘や小型のレンズのような形状をし、浸食されたような比較的平板な面状に分散する。   砿層下部の灰色の泥質岩には押し出されたような灰色と黒色の鉄質の細長い模様がある。
成分は主として鉄水雲母を含んだ頁岩で、他に泥質岩や泥質板岩もある。
坑仔巌 層状に近い形状で30度から35度の傾斜角で分布する。
形は小型のレンズのような斜層を成している。
また灰色泥質岩と赤紫色の鉄分を含んだ泥質青岩が交互にリズミカルに層を成している。
成分は主として鉄質を含んだ頁岩で、他に粉砂を含んだ泥質岩もある。
つまり、老坑は、山の下部から上部へと山の隆起角度に沿って層を形成し、山裾では15度、上部になるほど30度に近い急角度になり、断続しながらつながっている。
 坑仔巌は老坑からの石層が山の内部で断続しながら延びていき、採掘場所が山の中腹よりも上部にあるので、採掘層の角度は35度と更に増していくのです。
坑仔巌と同じ山の、頂上に近い東南斜面には古塔巌があります。
  (老坑は山の北西の山裾・坑仔巌は北西斜面の中腹です)
 古塔巌の成分も鉄質を含む頁岩が主で坑仔巌とほぼ同等の性質をしています。
 と言うことは、この山全体が、
或いはこの山の周辺全体がよく似た石で形成されているということになります。
 更に、
北嶺の白綫巌なども同じ広東省肇慶市端硯地質調査報告の石質の分析結果で、
坑仔巌と同一と表現できる地質なのです。
 峡北の北嶺に至るまで、この地質が点在しているということになるのですから、
老坑に従事する頑なな職人達さえ健在なら、今の老坑の高品質が失われる心配は、まず起こり得ないのです。
 1050年に採掘の始まった(宣統年「高要県志」記録)老坑は判明しているだけでも、何度も何度も開坑・閉坑を繰り返しています。
 最近では、清末光緒15年(1889年)に再開抗され、少量の原石を採掘しましたが、 清朝末年(1911年)には、もう閉坑しています。
 その後暫くの空白期間をおいて、1972年、人民政府支持のもと、旧坑の採掘が再開されました。
 半世紀以上も老坑の採掘が見送られてきたのは、激動の時代背景が大きく影響を及ぼしたのです。
 この旧入口からは1980年まで採掘、同年、生産増と採掘職人の労働条件緩和を目的に開発されていた新入口が開坑、その操業開始を待って旧入口は閉鎖されます。
 この新入口が開かれてからは一度の閉坑もなく、継続して採掘されています。
(西江の増水期と1998年11月の原石盗難から1999年2月に至る 一時的な管理体制を再検討するための休坑を除く)。
 
 補足 
 新入口からの採掘現場と旧入口からの採掘跡は内部で繋がっています。同一の場所なのです。原石を掘り出しているところは次々と岩を採掘し地上へ運び出すのですから当然のことながら採掘に連れ空洞になっていきます。採掘が続いていくその最先端 イコール 今の老坑採掘現場なのです。

新坑と呼ばれている新入口から入っても、旧坑と呼ばれている旧入口から入っても現場は同じなのです。古い玄関が狭くて使い勝手が劣ってきたので新しい玄関を作ったのと同じことなのです。
この同一場所へ入るための新しい入り口を新坑、古い入り口を旧坑と呼んだのが新坑と旧坑は違うところではないか?との誤解を生み、また一部はこの誤解を利用し、新坑と旧坑では石質が違うとの風評が広まる原因につながったようです。



 老坑の新入口と旧入口の坑口間は20メートル位離れているだけで、 新坑と呼ばれている新入口の坑口が旧坑口より約10メートル高いところにあります。(老坑付近鳥瞰図)
 入り口からの斜坑は、 大体25度位(体感的には40度ぐらいの急坂に感じられます)の急角度で、真っ直ぐに下へ降りていきます。
 急勾配であるのに加えて、滑り易い条件が揃っていますので、底まで階段状に造られ用心さえすれば降り易くなっています。

 斜坑の長さは約150メートル、斜坑を降りたところの深さは 70メートル弱です。

 階段状の坂道の真ん中には、巻き上げ式のトロッコが備えられていて、原石は坑底からこのトロッコで地上に運ばれます。
 ほんの少し前までの旧坑時代は、 原石を籠に入れて、 少しずつ少しずつ、 全て人力によって地上へ運んでいたのが嘘のようです。
 
 老坑採掘現場へのこの坑道は、 両側に手が届くほどの巾しか ありません。
 場所によっては、頭を低く下げて通り抜けます。

 底に辿り着くと、坑の大部分はほぼ直角に左に曲がり、 旧坑(採掘跡)の方角に向かいます。
 この斜坑の降り立った所から5メートル位高いところ、斜坑の途中に水帰洞などの旧採掘跡とつながっている部分があります。新入口からの導坑途中で旧入口から入っていた頃の最深部「水帰洞」がつながっているのです。

 斜坑を下りながら左を見ると(懐中電灯でも充分ですが照明が必要)目前に旧採掘跡への連絡口があり、崩れないように木の柱で何ヶ所も補強されています。
 天井が低くなっていきますが、屈んでいけば旧坑と呼ばれる部分に入れます。
 でも、坑として危険な状態ですから入坑はしない方がよいと思います。
 職人さん達も危険だから必要時以外は入りませんし、
 無理矢理入って、 もし事故でもあれば、入った本人はともかく、
現場の人たちに多大の迷惑を掛けることになります。
 
 そして、時が流れ五億年も経てば、人骨端渓として珍重されることになります。
  「天然記念物人骨端渓」になってみたい方は 旧採掘跡(旧坑)へ入ってみて下さい。  
  • 前述しましたが、1999年3月9日の老坑調査行では、新坑口から入っていくと内部で旧坑と連結し、旧坑そのものに入れるようになっています。
      1998年11月の老坑原石盗難事件の影響で、老坑の管理体制を見直ししている間は採掘を中止していましたが、手持ちぶさたの職人達が旧坑と自由に出入りできるように坑を広げてしまったのです。この時(1999年3月9日)ご参加の方々は全員が旧坑と呼ばれる採掘跡に入り坑の状況を調査されました。


新坑と旧坑の接合部
この向こうが旧坑の最深部で水帰洞につながります。

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