老坑 坑仔巌 麻子坑・・・石質分析表 硯の頁トップ みなせH.P.トップ
 
  端渓のまことを伝えたい      端  渓   本 文 
このホームページの内容を無断で使用・転載することを禁じます。 有限会社みなせ筆本舗
  
1998年≪老坑は枯渇した≫とのあり得ない風評の蔓延に「老坑にまつわるいろいろ」を緊急出版。
これに現地実情・環境など詳細を加筆し翌1999年に再刊行した≪老坑の本質≫にかかるご案内書です。
更に、1998年に端を発する≪端渓全坑強制閉鎖≫への表裏・経緯もその変化ともども年を追い加筆しました。
  
端渓「老坑」の採掘再開から閉鎖 端渓渓谷の今

1 序章 硯の頁トップ みなせH.P.トップ
老坑を中心とした端渓硯各坑採掘にまつわる「まこと」です。
端渓(端渓硯)序文
硯の中の硯「端渓」、その端渓硯の中でも群を抜く品質を有するのが硯の王者「老坑硯」です。
老坑はもう枯渇した、もう採れないと信じられている書家や硯の専門家と言われる 人たちの多いことには驚きました。
老坑坑底から新入り口前
に運び出された老坑原石
老坑にて
(坑口前 地上検査の直前)
老坑が枯渇したとの風評を信じられている専門家方を老坑採掘現場へご案内する準備をすすめ、現地調査希望のお申し出いただいた方々の第一陣、十人程度の専門家方を現場へご案内したのは1998年1月です。
以降、ご希望のあった方々を順次採掘現場までご案内し老坑は今もなお健在である事実をご確認いただいています。

⇒老坑鉱脈は健在で鉱脈に関しての問題は全くありませんが、採掘環境改善による過剰採掘がもたらした「過剰在庫」が主原因で2007年8月後半に老坑が、それに続く形で他の硯坑も管理者(政府機関)により強制閉鎖されました。当初は適正在庫に戻るまで、との方針でしたが在庫整理は遅々として進まずついに端渓名坑の採掘渓谷はその存在の意義を変えてしまいました。
 ≪この顛末詳細はこちらの頁へ≫
老坑へ専門家方を案内しはじめた当初に、端渓に関して(1998年時点で)30年に及ぶ私の記憶と経験を基に老坑の現実を「老坑にまつわるいろいろ」として緊急出版しました。
初版は言葉通りの緊急出版で、端渓に関しての私の記憶を2週間ほどでまとめたものです。誤字や一部の名称などに思い違い・記憶間違いの部分もありました。お詫び申し上げます。更に、内容を充実させると共に正確さを期す改訂版を予定し、同年(1998年)に5回現地肇慶を訪れ事実関係を再確認、現地の新・旧資料を加えて翌年に再出版しました。

老坑の現状をそのままの姿で知っていただかねばならないと思い至るまでは、長年現場を訪れながらも私の生来の無頓着さで気にしていなかった老坑に関する年代記、広東省地砿局が調べた端硯地質調査報告書による端渓各坑の分析表など科学的に解明された数字資料、肇慶で得た歴史的資料、新資料を加えました。
この第二版で訂正していますのでご覧いただければ幸いです。

 特に1998年12月の現地調査時には一連の調査資料から知り得た「新入口から老坑採掘現場へ至る導坑のほぼ底部と旧入口から入坑し辿り着く大西洞(老坑採掘史上一番有名な採掘跡の空洞≒老坑佳硯採掘跡)の下部「水帰洞」とが内部でつながっている」。この事実を硯を愛するがゆえ老坑の真の姿を知りたいと現地まで同行して下さった方々共々確認、その後の訪問時には皆様に紹介しています。肇慶老坑資料の細部まで熟読すれば当然知っているべき情報を見逃していましたので知る迄にご案内した皆様もこの接続箇所のま横を上り下りされたにも拘わらず説明出来ず申し訳ありませんでした。
旧坑=(旧入り口)から入坑していた時代の老坑最深部の更に下層の採掘現場へ直行する老坑新入口(俗に“新坑”とも言われる)からの導坑
 採掘跡の空洞「大西洞」、そして当時の採掘最深部「水帰洞」、新入口からの導坑と旧入口からの採掘跡がつながっているのは正しく新導坑最深部なのです。水帰洞をこの目で見られるなどとはその時まで思ってもいませんでしたので感動もひとしおでした。
 この感動のわずか3ヶ月後、1999年3月9日の老坑調査行では前年12月の調査行で新口から斜坑を降り老坑最深部へ至る直前の導坑から水帰洞をのぞき見ることが出来た、その場所が更に大きく開かれ、旧入り口時代にはヤット辿り着く、と言う感覚だった当時の採掘最深部水帰洞への出入りが自由になっていました。
1998年11月の老坑原石盗難事件の影響で老坑の管理体制を見直ししている間は採掘を中止して いましたが手持ちぶさたの職人達が旧坑と自由に出入りできるように坑を広げてしまったとのことです。

この時(1999年3月9日)調査ご参加の方々は全員が旧採掘跡水帰洞へ入り、坑の状況を調査されました。現場管理者は、この連結部分付近は石質が(老坑としては)粗いと話し、事実採掘はこの連結部よりもう少し深いところを中心に行なわれています。

 端渓を愛する方々や端渓の専門家の皆さまに、端渓、それも特に老坑の真の姿を少しでもお伝えしたいとの思いを込めた初版を基にしていますので、初刊と同じ記述のままの部分も多いのですが、新事実と新資料の追加でお許し下さるようお願いいたします。
(端渓の街「肇慶」を最初に訪れたのは何時だったか?
ハッキリとは覚えていませんが、1974年前後だったと思います。
2000年に至るまでの30年近い年月の間に、少なくとも40回は訪問しました)

老坑内部  1990年、既にその兆しは感じられたのですが、特に1992年頃から、老坑の採掘現状や流通の事実とは全く違うことが、端渓の常識として大手を振ってまかり通ろうとしていました。
多くの端渓専門家・愛好家の皆さまが、端渓の現実とはかけ離れた虚構に取り憑かれつつありました。
老坑原石は枯渇したとか、良質の老坑硯は僅かに残っている在庫だけでもう採れないとかの内容で、それを信じる端渓愛好家が多くみられるようになってきた1997年10月
老坑内部

 これではいかんぞ、真実を知っていただかなくてはと、
端渓に深い造詣と愛情を持たれる方々で、老坑の現状を調査したい旨のご連絡をいただき、
私が老坑現場へ行く時、タイミングよく同行可能な方達を1998年1月から順次老坑へ、そして老坑最深部へご案内し、「老坑は枯渇した」とやらの一連の噂は根も葉もないことを、ご参加の皆さま全員の目で確認していただきました。
しかし逆に、ご参加下さった方のほぼ全員が老坑はもう採れないのだと思い込んでおられ、西江を船で渡り老坑を目前にしているにも拘わらず、 まだ半信半疑で、実際に老坑の坑内に入り、採掘している現場を目の当たりにされるまでは、老坑が採掘されている事実を認められなかった事にも驚かされました。

 後述部分でも重ねておことわりしていますが、この本は、同道して下さった皆様方に、好きで始めて、気が付いてみると、優に30年以上係わってきた端渓の、現業に携わる人たちとの交流から得た事柄や、採掘現場、硯工場での出来事、目で見たこと、体で感じたことなどをお話ししているうちに、記憶の底から浮かんできたことや端渓の現状をそのまま記述した初刊の小冊子を、その後、新たに得た資料や情報などで補完したものです。
老坑内部
(参考資料 宣統年・高要県志、呉蘭修・端渓 硯史、高兆硯史考、梅山周・硯坑志 、呉縄年・端渓 硯志、袁樹・端渓 硯譜志、肇慶文物志、 広東省地砿局提供:広東省肇慶市 端硯 地質調査報告)  

時間つぶしに見てみようかとでも思っていただけたら、この上ない幸せです。
山口 

次(出版のきっかけ)へ
「 端渓のまことを伝えたい 」のトップへ