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=ホウ古墨 
古い墨(古墨)にみえる化粧を施された墨。墨の型も正真の有名古墨と同一にみえるよう作られることが多い。
 
≪古墨と同一の木型≫を造る、或いは≪古い時代の木型≫を利用することにより
「正真の古墨と外観が同一に見える墨」は簡単に製墨出来ます。
こうして作った墨の外観に「古墨であるかのような古さを施した⇒時代を付ける化粧を施した」墨を=ホウ古墨と呼びます。
古い時代に造られ今に伝わる「墨」、これらは「古墨」と呼ばれ珍重される。
その代表格は、明代の名墨匠により作られ現代に伝わる「明墨」、その明墨を代表する製墨廠「程君房」 「方于魯」。
これらを含む古い時代に作られた古銘墨をそっくりそのままの形に、古い工芸技術伝承のため模倣墨≒=ホウ古墨を造り、これらは模造骨董品(=ホウ古品)であることを明らかにした上で流通させる。これは工芸技術伝承のためには有益であり歓迎され許されることなのですが、その流通過程の多くの段階で「古墨模倣品(=ホウ古墨)」が「=ホウ古墨」としてではなく「正真の古墨」として取り扱われることが数多く発生します。これが問題を起こします。
無論、古墨として流通している墨の中には本物も沢山あるのですが、古墨ほど模造品(=ホウ古)が市場にあふれている商品は他にあまり例がないと思われます。

=ホウ古墨は模倣品でありながら昔から市場に確固たる地位を築き、古墨に倣って作られた模倣工芸品としての=ホウ古墨市場を形成しています。
 と言うのは古来、墨は実用品であると同時に「美術品」としても取り扱われ、旧の名品を模作することにより各時代の製墨技術者の技量アップと技術の継承を計ってきた。そして今なお、他の多くの美術品と同様に古作の名品模倣を墨職人の資質を上げる柱の一つにしている、という事実からです。
 こうして製作されたものは「=ホウ古=模造=品」として流通しますので、本来の流れなら古墨の真贋問題に絡んでの問題は生じません。
 しかし、流通のいずれかの段階から一部ルートではこれらを「古墨」として取り扱います。

 墨への化粧技術が進化し、古墨か模倣古墨かの判別が外観からでは至難になった模倣古墨の真贋鑑定に当たって、本物の古墨を十分に見、勉強する機会に恵まれなかった、機会に恵まれなかったからこそ持つに至った独自の鑑定方法を根拠に、
外観から古墨であるとか、そうでないとかの判断を下そうとする人たちが多いのも問題です。

=ホウ古墨の主たる生産地中国、中国の関連公司と「古墨」を契約する時、以下の商談により契約書が作られ、墨は契約書に基づいた古さの化粧を施されます。
=ホウ古墨の契約時、50年もの・100年ものなどと見た目の古さを自在に指定・注文することが出来ます。
正真の古墨と同型に「今造られた現代の墨」、この墨を発注者の希望に応じた製造期状態(外観上)に仕上げてくれるのです(個々の発注者の時代感と製造者の時代感の感覚差はこの限りではありません)。
古墨の真贋を鑑定をする、又は鑑定出来るなどと公言して、外観を些細に観察し
「ほら、墨のここのヒビの状態が・・・」とか、          
「これだけ時代がついている・・・」とか、
「彩色の色が古びて、そして剥離しかかっている・・・」とか、
古墨を使用する作家の目的から言えば、どうでもよい目視上の状態を子細に観察することで古墨の真贋判断を下そうとする例がとても多いのです。
 古墨が価値を持つのはどの様な事柄によるのか・・・、
 墨を利用するアーティストが古墨に求めるものとは・・・何か・・・、
 正真の古墨はどの様な事象を表現出来るから価値を持つのか・・・・

 表現の多様性を求めて古墨を探し求める、そして古墨を使用する作家の立場から言えば、墨の外観を眺め回し、それも拡大鏡などを用いて仔細に観察し、さすり回したりして判断することは無意味、
そして、その鑑定方法で真の古墨だとの鑑定がなされたとしても、それは鑑定者の個人的判断=主張=に過ぎないと言う事実以外、判断が正しいのか、正しくないのかの根拠は何も無いと言うことなのです。
 
 墨の外観が如何に古びていても、外観から古墨本来の価値は一切生じないのです。
 外観から生じるのは、それが正真の古墨であれ、=ホウ古墨であれ、古さに価値を見いだす骨董の世界の価値観であって、装飾品としての価値に過ぎず、=ホウ古墨ではこれに製墨技術を次代に伝える技術的意味合いが加味されます。

 古墨か模倣古墨かを「炭素年代鑑定」で判断しようとする人も多いようです。
これで判断出来るのは、鑑定した墨の構成物が古いか否かだけで、実際に墨を製造した時期の鑑定は出来ません。
 この「炭素年代鑑定」で古墨か否かを確かめようとする人たちは、原料が古ければ古墨と考えているのか、それとも、古墨に価値を求めるところが違う、つまり古墨そのものの理解が違うのではないか、と言うことになります。
 この方法で、この墨の原料は確かに古いものだとの鑑定を得ても、古い時代に製造された煤を原料に製造された墨だと判定されるだけで、実際に墨として作られた時代が古いのかどうかの判断にはつながりません。

 古墨の価値とは、原料の煤が作られた時代が古いことで生じるのではなく、墨として実際に製造されてからの経時変化により生じる様々の事柄により創成されるのです。

 墨の主原料は皆様がよくご承知のとおり「煤(すす)」と「膠(にかわ)」、それに僅かな「水分」です。
 時には「香料」が加えられることもありますがいずれにしても「煤」と「膠」以外で墨に残るものは微量です。
 墨を摺るという作業で煤と膠がうまく混合された水溶液=墨(液)が出来ます。
 この墨(液)中の煤をコロイド状に保つのが膠の役目で、コロイド状態であるからこそ紙に書いた時、摺った墨の水分が紙の中を拡散していく、その水分と共に墨の主成分である煤も水分に乗って拡散していくのです。
 コロイド状態が完全であればあるほど拡散していく水分に含まれるコロイド粒子(墨の煤)量と最初に筆が入った墨跡(基線)の煤量との差が少なくなります。
 つまり、筆跡(基線)とその周辺へと滲んでいく水溶液に含まれる煤粒子量の差により発生する濃淡の差が僅かしか生じないと言うことになります(墨が新しければ新しいほど、膠量が十分だから墨(液)は完全な保護コロイドを保ちます。
 この状態は、書いたとき筆の通った筆跡と、その周辺へ墨がにじんでいったにじみ跡に墨の濃淡の差が発生しにくいと言うことです。

 (10-9〜10-7m程度の粒子をコロイド粒子と言います。そして、コロイド粒子が分散した溶液がコロイド溶液です。
  保護コロイド:疎水コロイドを処理して=膠を加えて=親水コロイドにしたもの 例:墨汁
  疎水コロイドである炭素のコロイドに膠を加えて親水コロイドにする→保護コロイド) (表現に誤りがある場合はお許しください)

 固形墨を摺って得た墨(液)はこの「保護コロイド」の代表でもあります。
 固形墨は時の経過と共に、その構成物で有機物の膠は分解を進め、分解が一定以上進むと、固形墨を摺ることにより得られる墨(液)は十分な保護コロイドを維持することが出来なくなっていきます。
 これは、墨(液)の水分に乗って移動するコロイド粒子=煤の量が減少することに直結します。
 これにより、筆が最初に通った筆跡の墨量=煤の量=による濃度と、その基線から滲んでいった(水分が移動していった)滲み跡の濃度=煤の量=の差&変化が大きくなっていきます。
 この墨量=移動する煤の量=の差による変化の生じ方などが、新しい墨、つまり膠が十分で完全な保護コロイドである墨(液)では表現不可能な作風を創作できる、それが古墨に値打ちを与えるのです。
疎水コロイド 分散媒が水であるコロイド溶液のうちコロイド粒子と水との間の親和性が小さいもの。
親水コロイド 水を分散媒とするコロイド溶液のうちで、分散粒子の分子構造中に親水基をもち、電解質を加えても沈降しにくいもの。
石鹸<(せっけん)・ゼラチン・タンパク質・膠(にかわ)の水溶液はこの例。
保護コロイド

疎水コロイド溶液に加えてコロイドの安定性を増す働きをする親水コロイド。
この作用は親水コロイドが疎水コロイド粒子を包み込むことによる。
墨汁中の膠(にかわ)はこの例。


 【墨を摺って得られる墨(液)の墨色・線質・にじみ具合の現れ方などは、墨の主成分の一つ「煤の性質」と「コロイド溶液の状態」が主たる要素であることに変わりありませんが「ブラウン運動(空気=水=の粒子が様々な方向から様々な速さで衝突することによって,対象となるブラウン粒子⇒ここでは煤粒子 は規則性のない乱雑な動きをする)も多少関係する、とも言われます。
ブラウン運動  
 (ブラウン運動U★メディアプレーヤーにより繋がらない場合があります。
          出典:Brownian Motion " - Sakura Pollen YouTube)


 古墨を使う、これは墨が作られた後、磨墨液が完全な保護コロイドを形成し得ない程度にまで膠が分解する時間経過があってはじめて表現可能になる作風であり、磨墨液を「保護コロイド」状に保つべき「膠」の分解・減少による保護コロイドの「崩れ」により生じる「基線と滲みの間に生じる墨色の濃淡の差」を生かす作品作成が可能になると言うことです。

 膠が減少してきた墨を摺って得た墨(液)は完全な保護コロイド状態を保てないからこそ作成可能なアート表現。
 そしてそれが実現できるからこそ古墨に価値が認められるのです。

 墨の外観に時代をつける=古く見せる=技術がとても簡単になった今、本当に古い墨かどうかの判断を下す方法は、古来からの伝承通り、実際に墨を摺り、書き、その墨跡の濃淡の差などにより判断するのが一番間違いのない、或いは間違いの少ない方法です。
この的確な判断には豊富な経験が必要です。
実際に数多くの墨を摺って、そして実際に書いて、墨の変化の様子を視るという単純な経験を重ねることで、少しずつ墨の経時変化の判断が正確になっていくのです。

 古墨の価値は、前述の主題になった「にじみ」の変化に加えて、墨色の冴え・切れなど、文章では十分に伝えることが困難な、そして困難であるのに経験が無くとも他とは違う美しさや魅かれる何かが感じとられ、更に経験を積むことでその感覚に無限の領域への広がりを持たらす、それらが古墨の持つ美的領域・価値には含まれるのです。

 追、
墨は古ければ古いほど古墨としての価値が上がるとの認識が多いようですが、古くなり過ぎた墨は骨董品としての価値はともかく、実用の墨アートの材料として使用する場合、墨に含まれる膠が完全に分解、または膠のほとんどが分解してしまった状態では、その評価は激動し、使用するアーティストの感性と資質により命を与えられることもあり、失ってしまうこともあるのです。
 これら膠の分解が進んでしまった墨は、いくら墨を摺って墨(液)を得てもその液はコロイドを形成出来なくなり、筆が最初に通った墨跡に墨=炭素=煤のほとんど全てが留まり、そこから滲んでいった(水分が移動していった)墨跡と言うべき部分には、僅かに煤を含んだ、只単なる水と言ってもよい状態の液体が移動していくだけで、乾いてしまえばまず何も残らないことになります。

完全に膠分が消失した「墨」は、墨ではなく「炭」、つまりは「煤」に戻ってしまうのです。
この状態になってしまった墨を生かすのは、前述の通りそれを使用するアーティストの感性と資質なのです。

どうすれば?????は、その作成が可能なアーティストと、芸術的効果を高める方法を指導出来る一部の人たちの権利でもありますので触れないでおきますが非常に簡単なことです。
これまでにも多くの方がその方法をご存知だったのですが、2002年頃、ある墨メーカがその材料を商品 ( 古墨としての効果を取り戻すのに、特にこの商品を使用する必要はないのですが ) として発売しましたので、更に多くの人たちがご承知になられた筈です。
古墨と宿墨の差??

下の画像は本物の「古墨」の一例です。
@ A B
C D E
『古墨』 拡大画像へ
画像 @ : 第二次世界大戦が終わる1945年までに製造された「純松煙墨」です。
製造元の「長春園」様が製墨業から撤退される1年ほど前の1980年前後にわけていただきました。
「戦前に製造したもので大事に残してきたものだが手放さざるを得なくなった」と持ち込まれ全量を引き取りました。その時の残りがまだあります。墨としての基本は同一のものですが古墨と変化していく時間の中でそれぞれの個体毎に異なる変化をなしています。
画像 A : 中国製「虎渓三笑」の古墨
1975年頃「上海工芸」に頼んで、「古」ではない本当の「古墨」を集めてもらいました。
当時既に本物の古墨の流通は少なく上海工芸が1年がかりで集めてくれました。その一部です。
画像 B : 製造元の「長春園」様が製墨業から撤退される1年ほど前の1980年前後にわけていただきました。
その時の残りがまだあります。墨としての基本は同一のものですが古墨と変化していく時間の中でそれぞれの個体毎に異なる変化をなしています。
画像 C : 古梅園製。1970年代、既に古墨として古梅園様から分けていただいたものをみなせで更に今まで枯らしてきたものの一つです。 
画像 D : 古照園製「紅花墨」です。1980年頃持ち込まれたものを全量買い付けました。多少残っています。墨としての基本は同一のものですが古墨と変化していく時間の中でそれぞれの個体毎に異なる変化をなしているのは@と同様です。
画像 E : 南松園様が製造年度を控え残してきたものの一部で1963年製、複数の在庫が有ります。
墨としての基本は同一のものですが古墨と変化していく時間の中でそれぞれの個体毎に異なる変化をなしているのは@と同様です。

山口そう一 

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